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書きたいことがただただ書きたい〜わたしと書くということ

WordPressのモニターの募集詳細を明日出すから という理由で、それに関連する記事を書かなきゃなーと思いながら、書こうと思っている内容もあるのに、ぼんやりと筆が止まる。

いまのわたしは、役に立つ記事でもなくて、マインドに響くことでもなくて、わたしのことをわたしの言葉で書きたい。ただただ書きたい。

書くことはいつだって心に差し込む光になる。

「文章を書くのが得意か?」と聞かれたら私の中では極めてNOに近い。
それと同様に「話すのが得意か?」と聞かれたら、それもNOに限りなく近い。

確かに、「文章を書くのが上手だね」とか「プレゼンがうまいね!」と言われることは今までにたくさんあった。

無意識のなかにある難しさはわたしを苦しめることも多いけど、1つだけ言えることは、わたしの言葉は人の心をじわじわと動かす(らしい。)

あるとき、所属していた団体のメーリングリストに、その時の活動を通して感じたことを、感じたままに送ったことがある。

送る瞬間に、「ここまで素直に書いてしまっていいものか」あたまの隅っこをよぎったけど、当時怖いもの知らずだったわたしはそのまま送信ボタンを押した。

その後、公の場ではそのメールに対しての反応はなかったが、代表から1通のメッセージがきた。

「今まで誰も言えなかったことを、批判することも否定することもなく伝わるカタチで伝えてくれてありがとう」と。「あの言葉はきっと多くの人のを次の方向へ向かわせると思うよ。」という言葉で結ばれていた。

わたしが伝えること意識しはじめた原体験はここなのかもしれない。

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読書感想文はあとがきを読んで書くタイプだったし、いまでも映画や読んだ本のについて自分の感じたことを紹介するのは苦手だ。

だけど、私の周りにある素敵な考え方や、生き方、起こっていること、それを通して私の中からでてきた想いを、伝えることはとても大切なことなんじゃないかと気づいたのだ。

幸いなことに、わたしのフィルターは繊細なゆえに、とてもフラットで、否定も批判もなく一旦自分の外側で受け止めることができる。(取り込むことはまた別の話ね)

そして深いところで揺れ動いた気持ちを外にだす。話してしまうと、感情が先にでてしまい、相手を困惑させてしまうこともあるから、とりあえず一旦書くのだ。

うまいとか、下手とか関係なく、「わたしはわたしのフィルターを通して世界をこう見ているんだ」ってことを、「感じたことを通してわたしはその事実にこう関わっていきたい」と、伝え続けること。

そして、それをより伝わるカタチで届けられるように書きながら感性を磨くこと。

きっとそんなことを一生かけてやっていくんだろうな。

外はまだうだるような暑さだろうけど、それもまたいまの気持ちには心地よい気がする。

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